じゃんけん必勝法
~アルベルト・アインシュタイン書簡集より~
アインシュタインが不確定性原理への反論に用いた言葉。全ての情報が揃えば未来は完全に予測できるとアインシュタインは唱えた……。
人間の心理にはクセがあり、流れがある。
1から10までの数字の中からひとつを選ぶとき、5つの色の中からひとつを選ぶとき、
そこには“好み” や、“クセ”、お題に対する“読み”が存在する。
「なんとなくひらめいたから…」という曖昧な理由にも、実は無意識下での選択が働いている。
純粋なランダムなどあり得ないのだ。
この章では、そんな人間の“脳” がつくりだす「疑似ランダム」の偏りを突いた、「必勝」と
はいかぬまでも、「勝率」を高くする方法論を紹介する。
この作戦は学校、会社、仲間内など、“同じ人物” と、長い期間に渡って戦う時に有効である。
スマホのメモ機能などを使い、人物ごとにグー・チョキ・パーを出した回数を記録しておく。この時、相手に意識させないよう静かに観察し、記録することが大切である。
こうして収拾したデータは、その“人物”のクセである。つまり、長期的に見れば分布が大きい「手」を、その“人物”は出す確率が高いと言える。
たとえば、「グー2回、チョキ5回、パー3回」と、記録された相手と戦う場合、こちらは最初は「グー」を出す、あいこになっても「グー」を出す。
無論負けることもあるのだが、それこそ確率の問題であり、長期的視野に立てばあなたの「勝率」は上がっているはずだ。
さらに、最初は「グー」で、次の手が「パー」の確率が高いなど、複数回にまたがった分布データを抽出できると、作戦を使った勝率がいっそう増すだろう。
また、アイコになった場合に同じ手を連続して出す確率にも個人のクセは出やすい。
アイコになった時、毎回「手」を変える“人物”、続けて出したがる“人物”など…「手の連続性」に注目してデータを集める記録法も有効である。
この「確率記録」作戦の欠点としては、データの対象になっている“人物” の身辺になにかしら根元的な「じゃんけん意識」(※注5)を揺るがすような事象が起こると、クセに影響を及ぼし、これまでのデータがまったく無駄になってしまうことである。
人間の脳が『じゃんけん』の「手」を決定するときに使用する無意識の総称。
たとえば「中指を負傷する」と「チョキ」、「掌がやたら汚い」と「パー」など、肉体的コンプレックスが生じることで、ある「手」を出す確率が無意識的に下がるとされる。
初対面の人物や、普段『じゃんけん』をしない関係の人物に対して、相手の“容姿” “性格” “経歴” などから、「統計学」的に出しやすい「手」を割り出し、勝率の上昇を目指す方法論である。
いくつか実例をあげるので、合致した場面に出くわした際のために記憶して欲しい。
勝負がかった『じゃんけん』の場になるほど人は「グー」を出しやすいとされる。
これは「グー」が気合いを込めやすいことに起因する。
握り拳は気合いの象徴である。例えば松岡修造やアニマル浜口・浜口京子親娘は「グー」を出しやすいであろうと思われる。
ただし体育会系の人物は、一面において勝負師でもある。『じゃんけん』の場数も多く体験していることから、この「体育会系はグー」の法則を、体験をもって知っている可能性もある。
また、アントニオ猪木さんや、蝶野正洋さんのように「ビンタ」を繰り出す人なら「パー」を出す可能性も高い。相手の人物像をよく見極めてから対処したい。
寒い日の『じゃんけん』は、手をひらくのが億劫なので、「グー」が出る確率が高いという。
『じゃんけん』に不慣れな初心者は「グー」を出しやすいとされる。
「グー」で負けても仕方ない…的な割り切りを抱く人も少なくないようだ。
斜に構えたところがある人物、ニヒルな人間は「チョキ」を出す確率が高いとされる。
関東型のチョキは、その「手」を出す際に、指の器用さが少し要求される。さらに、お年寄りは「勝負」に対して“淡白”になっていることも多い。
このため簡単に出せる「グー」か「パー」を出す確率が高い。
常にかわいくありたいと考えている女性は、「パー」に、その人間性を表そうとする。そのため「パー」を出す癖があるとされる。
幼い子供達は、手先の細かな動きや神経、勝ち負けに対する意識がまだ未発達である。
このため「じゃ~んけ~ん」のかけ声の時は手を握っていて、「ぽ~ん!」の時に手を開くといった単純な動作をつい行ってしまい、「パー」を出してしまう確率が高い。
総論として、『じゃんけん』は勝負事である。おしなべれば、本章の最初に示した「気合いのグー」を出す確率がいちばん高いのである。
同時に「グーが多い」ことに気づき、「パー」で勝負する人も多い。
「パー」を出しておけば、「グー」に対しては勝利、「パー」に対しても「アイコ」である。よって上級者にとって「パー」を最初に出すことは無難な選択とされている。
ここで裏をかいて「じゃんけん上級者にチョキを出す」作戦は当然存在する。
ただし、その裏をかいて「グー」という「読み」のステップには、なかなか至らない。
「裏の裏」の「裏」を突こうとする思考は、堂々巡りに陥り、きりがない。最終的に考えすぎ、疲れ、馬鹿馬鹿しくなってくるものだ。こうして思考の袋小路に至った上級者は、結果、「パー」出すことが多い。
「普通の人物は気合いのグー」→「裏をかいてパーを出す上級者」→ 「その裏をかいてチョキを出す超上級者」。「裏読み」はココで終わりである。
「裏の裏」はあっても「裏の裏の裏」は“ない”と覚えておこう。